上の動画で私の果樹園と生まれたところをご紹介しています。
ちなみにこれらの橋は、「安芸灘諸島連絡橋」と言って、岡村島からさらに大崎上島に8号橋、大三島に向けて橋の計画があったのですが、バブルがはじけてとん挫したようです。
詳しくは「広島県ホームページ」をご覧ください。
上の動画は、「ドローンじいさん」のご厚意で提供していただいたYouTube動画を編集させていただきました。
ちなみに編集前の動画はこちらです。↓↓↓
椋鳩十の「黄金(こがね)の島」の広島県呉市豊町大長出身の私が土日、祝日を利用して広島市安佐北区から往復5時間かけて(畑は橋続きの愛媛県今治市岡村、正確には関前村にあります)車で通ってミカンを作っています。作業は実質3時間。通う時間の方が長い!
「大長ミカン」って、結構昔から有名なんですよ。
これから少しずつ椋鳩十の「黄金の島」をご紹介しようと思います。
多分クレジット(著作権のある作品や素材の作者や提供者を明示する表記)さえ表記すれば著作権は大丈夫だと思いますから。
私の日常については、平日は「リベライル」という商品名で車磨きやコーティングのご提案やサポート、材料を開発したり通販をしています。
ちなみに大長は御手洗、久比、沖友の4地区からなる呉市豊町と言います。
この豊町の一番高い山が「一峰寺山」と言って、標高は449.3mあり、昔はこの山頂までミカン畑だったんですよ。(詳しくはこちら)
てっぺんの方の畑では、どうやってミカンを下すかと言えば、「索道」を使って下していました。
索道とは、空中で上と下にワイヤーを張って、そこに荷台を吊り下げたロープーウェイのようなもので荷物や人を乗せていたんです。
使用する場合は、上下どちらかに一人いないとブレーキを掛ける事が出来ないので、必ずどちらかに一人はいなくてはいけなかったんです。(最後の人は歩いて上り下りをしていたんですね。)
当時、うちの親戚のおばあさんなんか、70歳近くまで300m以上の高さの畑から、私たちは「おいこ」と言っていたのですが、(「しよいこ」とも言っているかも?)これにミカン箱(約20㎏/箱)を2箱背負って歩いて降りていました。
これがまた降りるのが速かった!
だから骨太の人でした。
昔の人はたくましかったです。
私にはできません。一発で膝と腰がやられます。